おばあちゃんは軽かった

ほとんど骨と皮になったおばあちゃんが
横たわっていた

薄化粧されていた

可愛いおばあちゃんだった

兵庫出身だったので
方言交じりの言葉だった


最後は末梢点滴という塩水だけの点滴を打ち

あとは自分の体内のエネルギーだけを使って
約1ヶ月生きたらしい

おばあちゃんは老衰で生涯を閉じた



その横たわるおばあちゃんは

秋桜の柄の浴衣を着ていた

母が気づいて教えてくれた

それまでほとんど泣いてなかったけど
気づいた瞬間涙が溢れてきた


「うちは男ばかりでねえ」

認知症になっても
最後の最後までそう言っていたおばあちゃん

初孫のわたしが女の子だったから

大層可愛がってくれていた


偶然にせよ

最後まで可愛がってくれたサインだったのかな


ありがとう



初めて霊柩車の助手席に乗った

偶然にも
わたしが大学1~2年生の頃、
毎日通っていた道を通った

ひまわりが咲いていた



この道を通って学校へ行っていたんだよ

心のなかでつぶやいた



火葬場に着き

最後にお別れの部屋で

おばあちゃんの顔を棺の窓から見た


これで最後なのか、と

よくわからない心持ちで
おばあちゃんの顔を見つめた

あっという間だった


見ている間、
李香蘭の"蘇州夜曲"を
マスクの下で小さく口ずさんだ


最後に寝たきりのおばあちゃんに直接会えたときにこの曲を歌ったら

「女の子の歌だねえ」
「うちは男ばかりでねえ」

と、もごもご口を開き始めた曲だった


焼却炉の中に棺が入っていくまで

口のなかでずっと歌っていた




棺が焼却炉に入っていくのを見るのは

何回経験しても

何歳になっても

慣れない


つらかった



だって、
おばあちゃんの形がなくなるんでしょう


骨だっておばあちゃんを構成していたものだけどさ

骨は常日頃見えるもんじゃないし



これからおばあちゃんの皮膚が

爪が

髪の毛が

目玉が

内蔵が

棺に詰め込んだおばあちゃんの服やおじいちゃんとの写真、帽子、靴が


黒く焦げて

すべて燃えていくのか


そう思うと

ただ
つらかった



きっと父もそうだったろうが


うちの父は強がりだから


俺は大丈夫と言わんばかりに
違う話を始める


しんどいときは泣けよ


どこかでそう思った


どうか父に
どこか思いっきり泣ける場所がありますように

そう願うばかりだ




おばあちゃんが焼き上がって

骨だけになった

焼却炉のお兄さん(やけに話し方が気にくわなかったが優しい人だった)が

おばあちゃんの骨を"ある程度"説明してくれた


順々に骨壺に骨を入れていく


最後におばあちゃんがかけていたメガネを頭蓋骨の上に置いて

蓋を閉めた






帰りの車で

おばあちゃんの骨壺を膝にのせた



思っていたより軽かった


とても、軽かった







黒い雲が向こうを多い尽くしているのが見えて

父の運転で車で急いで帰路についた



途中で大雨に当たった



帰って葬儀に使った花の束を花瓶に入れていたら

太陽が見えてきた


反対側はまだ雨が降っていたから


これは絶対虹が出る

と思って


10分くらい外で待っていた



段々と大きく高い虹が現れてきた





なんだかもうそれが美しくて


そして悲しくて



だけど
おばあちゃんがこの虹を渡ってあの世へ向かえたらいいなあなんて思ってしまって

とりあえず手を振ってみた






おばあちゃんの四十九日は
これまた偶然にも
わたしの誕生日だ



いろんな偶然が重なって
胸がいっぱいになっている



おばあちゃんが亡くなって5日ほど経ったが

葬儀が終わってからの方がちょっとしんどい




この数日、久しぶりに父と居る時間が多かったり

4年ぶりに家族が集まったこともあったり

色々と久しぶりに賑やかだったから

さみしいのかな



あとは、葬儀場のスタッフさんたちがお友だちになれたらいいのになあなんて思うくらいいい人たちで、そのスタッフさんのことを思い出しても涙が出てくる


純粋におばあちゃんのことを思い出して悲しくなっているというのもある



心にぽっかり穴があいたみたいな感じがする


涙が出てくる




少しずつ、日常を取り戻していこう





いい葬式だったよ







さて

精一杯生きていこう

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